平成2年

S市役所は新しい建物でした。私とS市は平成2年の晩春からの繋がりでした。愛知万博が、で候補地に上がった場所だったのです。弁護士を立て係争中の頃だと思うが裏付けはしてないです。平成2年晩春だと三女は4年生頃で私は40才を越していた。

その頃だと、、どうにか解ってきました。

 

謎の薄紙が剥がれた思いです。愛知万博は2005年だから14年前は、モウ次男孫が産まれていた。三男孫は産まれていなかった。

皇太子様が雅子様と結婚されパレードを名古屋空港の待合室の近くの売店で働いていた。働きながらも目はテレビ画面をチラ見していた。当時の雅子様の輝きの笑みは素晴らしいのでした。

30年間のS市への溢れる思いは書き尽くせないモノなのです。

日本全国の自然災害は各地で発生した。S市山林を購入後日本各地は自然災害が多発し出した。S市のアノ山林の高台で陽当たりが良い土地を母にも見せた。

父が生きていた頃田中角栄の列島改造論で父は業者に乗せられ北海道や岐阜県の山奥とかを所有していた。私の息子も誕生して母と父は笑顔が多い日々でした。

その頃の父との日々を母は思いだしながら父が亡くなってからも業者の営業に乗せられて山奥の山林を私には内緒で契約していた感じです。

 

ノンベイの住まいからも近かった。陶器で有名なS市なので母も満足でした。ノンベイは10数頭の犬を飼っていた。そしてS市の高台のアソコに犬の糞をギョウサン運んだ。二人で何度も行った。ノンベイは手作りのお弁当を私のために作ってくれたのでした。

 

5年で離婚した私でした。